公園の猫を見ていて思うこと

私がいつも散歩に行く公園には、しこたま猫がいる。
顔なじみだけでも、黒猫二匹、ベージュの一匹、白い子猫と黒い子猫各一匹、そして茶色が一匹にグレーが一匹。
七匹は最低でもいる。

真夏の昼間、暑い盛りを除けば、大抵そのオールスターに出会うことが出来るのが、この公園のすごいところだ。
どこかに隠れて過ごすわけでも、人が来たら逃げるわけでもなく、ただただそこここにいるのだ。
空恐ろしいほどに人馴れをしている。
まるで猫カフェの猫のようである。

イタリアやギリシャなんかにはたくさんの猫がいるということで有名だ(と、旅番組で言っていた)。
日本でも、どこかの島では非常にたくさんの猫が悠々自適に過ごしているところがあるらしい(と、これも旅番組で言っていた)。
そういう猫たちは、その土地の人間達ととてもうまく折り合いをつけながら共存している。
お互いの生活に干渉することなく、でも寄り添って生きているように見える。

そういうことが、私のよく行く公園の猫にも言えそうだ。
人からいじめられたこともなく、本当はだめだけどおやつやご飯のおこぼれを貰いながら生きているのだろう。
それはそれで、野良猫として賢い生き方といえるかもしれない。

でも、あまりに人馴れをしてしまう動物は、野生としての本能が失われて、一人で生きていく力を奪われてしまうのが心配だ。
人間の不用意な干渉は、生き物の生存能力を低下させる。
この猫たちも、こんなに人を利用していて大丈夫だろうか、と心配になる。

が、先日公園に行ったら、そこを流れる小川で猫達が小魚を狩猟していた。
何だ、案外ここの猫たちは現代的なんだ、自活と扶助を使い分けている。
まるで、人間みたいだ、と思った。

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