ネット嫌いのインターネット

私はインターネットが嫌いだ。
毎日毎日何時間もインターネット上にいるがインターネットが嫌いである。
時にそのことをネット上のサービスを使って言うこともある。
毎日やっていてもインターネットがなければ…と思う。

私が嫌いな理由は不可逆性にある。
特にインターネット自体が不可逆であるということではないのだが、インターネットは新しい世界をつくってしまった。
世界をつくるということは、新しい生活、文化、制度が出来るといことで、一度そういうものが出来てしまったらなかなか無くなることはない。
一度出来てしまうともう無くならないというものに対して私は非常に嫌悪感を持つ。
昔、それが存在しない時にあった文化、使われていたものが反対に消えていってしまうのだ。
それは悲しい。
昔のものを大事にするタイプの自分にとってはやりきれない思いがある。
私はインターネットに触れたのはすごく早く、色んなサービスの隆盛を見てきたし、ネットを使うことによる新たな可能性の凄さも充分すぎるほどに感じている。
しかし、その一方で古くからされてきた行為や、便利じゃなかったからこそやっていたことなどがどんどん無くなっていったのだ。
そこには情緒や味わいがあり、日本人の好きな「わびさび」が存在する。
何も考えずにどんどん進んでいくように見えるネット世界に嫌気がさしてきたのだ。
もう止められないかもしれないし、自分も周りが使っている以上使わざるを得ないが、そういうことが嫌なのだ。
今や、使わないで生きて行くことはできても、使わないと大きな損をするという状況になってしまっている。
そして、今からネット無しの状況に戻そうということができないくらい拡がってしまった。
インターネットに限らないが、不可逆的な行為についてはもっと慎重になった方がいいと私は思っている。

インターネットでなんでも手に入る?

何でもデジタル化

今は日本のインターネットの普及率が75%以上を占めています。
そして、いつでもどこでも見られるということで、何でもインターネットを通じてお知らせしたり商売している人が増えています。

数十年前では、ご近所のお知らせや情報などは、「回覧板」を回していたと思います。
回覧板を隣のひとに渡しに行く事が、ご近所との関係を深めていくことができました。

ただ、最近では、回覧板もデジタル化していて、なおかつコミュニケーション不足も問題になっているため、ご近所との関係を繋ぐ手段のひとつがなくなってしまっています。

そして、新聞もデジタル化しているため、新聞契約率も減っており、契約解除も増えてきているようです。
新聞を取ると自分に必要のない情報まで紙面化されているのもあり、読み終わった新聞は嵩張っていくので、デジタル化に切り替えが人気を得ています。

その反面、パソコンを使用する時間が増え、なおかつ文字だけを見ているため、目が疲れてくる回数も増えてきます。
何でもデジタル化してくることは、すべてにおいて便利ですが、便利になった分いろんなデメリットもあります。

その点を受け入れながら利用するのも必要になってくるでしょうね。
現物が存在しないという、全てが仮想の世界で動くことも、遠い未来は実現するのかもしれません。
音楽もカセット、CD、DVDを経てデータ化され、手で触れる喜びが無いのは、感動が減りますね。

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