日記サービス

日記を書く時は特に見直したりしない。
見直す時間が面倒だし、誤字や脱字も味だと思っていたから、時にはわざと誤字をつくったりしていた。
日記サービスやブログサービスを使っていたわけではなく、自分のホームページで日記をつけていた。

読者のほとんどはインターネットで知り合った人達で、毎日特定の人が数人観に来てくれるだけだった。
当時のインターネットの状況はそんなもので、リアルな世界の友人とネット上でも交流するなんてことはできないという風潮だった。
今でもそういうことを思っている人は少なからずいるけれど、アメリカがつくる全世界を飲み込むようなサービスの前では皆そちらに流れていってしまう。
もう私もネット上で個人情報を晒したり、昔の友人と交流することに特段気を遣うことはなくなった。
たまに、自分の恥ずかしい部分を知られたくないなと思うことはあるものの、ネット上には恥ずかしい自分がいるということは皆が共通意識として持っている時代になったから、その状況下では晒すことにあまり抵抗はない。
今では日記をつけてはいないが、日々何かしら思ったことを書いたり、写真を貼り付けたりする場所がいくつもある。
そうなると、面倒なところには行かなくなるもので、いちいちログインしなければいけないところや、何度もクリックする必要があるところは放置することになる。
読者としても日記やブログのサービス自体にも辿り着くことがあまりないのはそのせいもあると思う。
日記を公開するということは面白かったのだけど、今ではインターネット上にそれよりも面白いものが拡がっているから、ネット上で皆に見せるものは日記である必要がなくなった。
前述のホームページはもう閉鎖してしまったが、また場所を変えて当時の友人と交流はある。

日記をつけること

毎年の初め、というか前年の暮れに必ずたてる目標がある。
それは、日記をつけるということ。
今回で何度目の同じ目標であろうかは、聞かないでほしい。

小学校6年生の時、担任の教えで毎日宿題として日記が出ていた。
その時の楽しみは、日記について必ず書かれて返ってくる担任からの赤ペンでのコメントを読むことだった。

卒業してからしばらくの楽しみは、その日記を時々振り返って読むことだった。
今でも何冊にもなる日記ノートが実家においてある。

そんな日記を、大人になって書くことがなくなってしまった。
そして、忙しさを理由に続けられない年がここ何年と続いている。

日記の醍醐味は読み返すことにあると思っているので、捨てずに取っておく派なのだが、そもそも続かなければその楽しみも生まれないので、毎年どうにか対策を試みては挑戦しているのである。

今年は、一言日記用のノートを買ってみた。
これなら、わずらわしさもなく、気軽に書けそうである。
書けそうというのは、根拠の無い希望的観測なわけだが、どこかでまた尻尾を巻いてしまいそうではある。

苦手ならやらなければいいだけのこと。
日本人の教育は短所を潰すことに主眼を置くので、あることに突出よりも平均を好むのがダメなところだ。
だから出来ないヤツをバカにする民度。

出来るヤツを集める、出来るヤツに対価を払って頼るという発想が無いし、ヨシとしない。
なんでも自分が自分がでは、大成できるわけがないのだ。

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