続かない日記
私は日記を書くことができない。
いや、一日、二日は書くことができるが続いたことはない。
誰も私に対して日記を書くように言っているわけではないのでそれでいいのだが、続かないことに一定の悔しさはあるのだ。
小中学生の頃、ノートに日記を付けたことはあったかもしれないが、夏休みの宿題のものしか思い出せない。
大人になってからは、インターネット上の日記サービスやブログサービスが流行し、もはや日記はデジタルで書くものというのが常識になっている。
今までネット上に開設した自分の日記サイトやブログは10近くにもなるだろうが、今では無くなっているか存在していてもログインできない状態だ。
続かない原因として1つ思い当たるのが、過去に私の日記を読んでいた人がくれた感想にある。
「君の日記って日記じゃないよね」と言われたのだ。
日記じゃないなら何なのか。
コラムか思想のようなものだと言われた。
日記は、「今日何々をした」ということを書くものだと教えられたのだが、私は今日思ったこと、考えたことを書いていたのでそれが日記であると思っていた。
正直、ネット上に溢れ返る日記の多くは、あれを食べただのどこに行っただのと面白くない。
自分がどう考えたか、ある出来事において自分の立場はどうなのかということを文章にして表現するから読みたくなるのだと私は思う。
しかし、毎日自分の考えを人に見せるため、あるいは自分の記録のためにタイピングするという行為は自分の生活の優先事項にならないようだ。
そんなことに時間を使うよりは、また新たに考えを巡らしたいといったところだろうか。
日記を続けるコツ
紙とペンで、日記をつけています。
その日にあった楽しいことや愚痴、明日何がしたい、などといったことを書く、ごく普通の日記です。
中学生の頃からつけ始めて、もう10年以上続けています。
時折読み返しては「ああそんなこともあったな」と思い出に浸っています。
……と、言うと、色々な人から「日記を毎日続けるコツを教えて」と言われます。
ずばり言うと、そんなコツはありません。
何故なら、三日坊主気質の人が日記を続けるコツは「毎日書かない」ことだからです。
私も例にもれず三日坊主なので、毎日書いていたら絶対に続いていなかったと思います。
何かイベントがあった時、これは将来思い出したら面白そうだ、ということがあった時、ちょっと今日は愚痴を吐き出さないと頭が爆発しそうだ、という時など、書きたいことがある時だけ日記帳を開きます。
基本的には一日1ページですが、書きたければ何ページでも書いていいし、一言でスッキリしたならば一行でも大丈夫です。
「これじゃあ後から読み返してもわけがわからない」と思っても、意外とその一行で色々なことが思い出せるものです。
読み返してみると、私の場合、中学生の時大好きなバンドのライブに始めて行った日の日記は、興奮覚めやらぬ口調でずらずらと4ページに渡って書かれていました。
また、親ともめて大ゲンカした日の日記はただ一行「まじむかつく」だけが書かれていました。
毎日書こうと意気込むと、一日でも飛ばしてしまった時に、急激にやる気がしぼんでしまいます。
そうではなくて、どれだけ間があいても書きたい時に書けばいいや、という気持ちでいると、書かない時期が一年あっても二年あっても、ある日ふと「あ、今日は日記書こうっと」と思う日がくるものです。
実は私も、ここ一年くらい日記帳を開いていません。
それでもきっと、何かあった時はまた日記を書くという確信があるので、「私は日記をつけています」と自信を持って言えるのです。